こうすけの呟き

想いは言葉に。

転居

2018年、2月24日(土)あーちゃんの転居。

施設入り。

笹塚の家はなくなった。

 

運び出される荷物。

残ったほこりが過ごした時の長さを物語る。

 

前日のお泊り。

あったものがなくなる怖さ。

 

一緒にもう泊まれない。

あーちゃんの家には泊まれない。

家を構えれば呼ぶことはできる。

でもそれは「あーちゃんち」ではない。

 

「あーちゃんち」に行くのが安らぎで憧れだった。

 

運び込まれる荷物。

手放さざるを得ない荷物。

あなたとの想い出を捨てるようで身を切られる。

 

もっと自分に力があったなら、

こんな悲しい思いを、

させずにもしなくても済んだことなんだろう。

 

縁の切れ目が、金の無さが、

ぼくらを引き裂いていく。

 

二度と帰らない日とわかっていながら、

今を大事にできなかったりするぼくら。

後回しにしたりで。

 

夢の日々は常に過去にあるなんて、

そんなのは嫌だ。

 

大事にしたい大事な人が、

居なくなるのがとてもこわい。

 

あのみそ汁がまた食べたい。

あのごはんがまた食べたい。

あの窓から見える景色がまた見たい。

あの窓から手を振って見送ってほしい。

 

あの道を辿ってまた帰りたい。

あなたが待つあの家に帰りたい。

 

豪華なものはなくていい。

くたびれたあのせんべい布団でいい。

隙間風が吹くあの6畳一間でいい。

 

金で買えないってのはこのことだな、きっと。

 

時にうっとおしく、憎らしく、でもいとおしく、

誰にも代えられない、家族のあなた。

 

小さい頃からわたしを知ってくれてる

数少ないひとりのあなた。

 

いつの頃からかいっちょ前に

孤独なんて口にし出すようになってからも

遠くから近くから、そこに居続けてくれてるあなた。

 

こんなにも寂しいのは仕方のないことじゃないよね。

耐え忍んだ先に見出す笑顔じゃなくて、

もっとわかりやすくうれしくっていいはずだよね。

 

ただそばで生きて、

なにはなくてもなにがあっても、

そこへ帰って行って、

まあたまには帰らなくてもいいんだけど、

 

結局はそこに帰って行って、

そこに帰れるって安心だからこそ

外の世界に出かけるのも良くって、

 

何歩か歩けばあなたがいて、

ひとりになりたければ部屋にこもって、

一緒にごはん食べたりして、

 

話しを聞いたり、

助け合ったりして、

ひとりきりではできないこともできたりして、

 

一緒の思い出があることで、

思い出して共有すれば、みんながまたそれで元気が出て、

そんなふうになりたい。

 

隣で寝息を立ててほしい。

寝起きに隣にいてほしい。

 

言葉とか愛とかじゃなくて、

ただ暮らしていたい。

 

それだけでいい。

それだけがいい。

 

離れたまま終わりたくない。

 

また、一緒に暮らそう。

 

一緒に、朝起きよう。

一緒に、夜寝よう。

一緒の家に帰ろう。

 

帰りたい。

帰りたいよ。

 

あなたのもとに。

 

別々に寂しい夜を過ごすことなんてないよ。

 

あーちゃん。

 

バラバラな家族のぼくらだけど、

俺は離れないから安心して。

 

あーちゃん。

 

また、いつか一緒に暮らそう。