こうすけの呟き

想いは言葉に。

リアルパラレル

最近、よく夢を見る。

 

夢の中で、現実の身近な人たちが

泣き笑いしている。

 

その姿は、日頃は見せないんだけど、

実際はそう思ってんだろうなあって感じで、

なんだかものすごいリアルで。

 

現実と並行して、

まるでパラレルワールドにでも

生きているかのようで。

 

そこで感じて、

そこで生きてる自分が、

やっぱり詩や歌を描いている。

 

癒したい、触れたい部分なんだけど、

恐れや照れや不器用さで届かないところを

そこでは目の当たりにしている。

 

それはまるで、

魂だけになった不幽霊が

上空から生きてる人々を見下ろして、

 

何かしてあげたくても体がないから

何もしてあげられないもどかしさに

とても似ている。

 

目が覚めて、

泣いたりしていて、

夢と呼ぶにはあまりに生々しくて、

 

なんだか2倍生きている。

 

するなら今。

何才だっていくらでも変わっていい。

 

本当に欲しいものを得るために、

恥をかきながら失敗しながら

時には痛い思いをしながらでも、

 

やってみろよ。

 

せっかく生きてるんだろ?

 

と言われてるような気もする。

 

向こう側の自分に、

檄を飛ばされてる感じがする。

 

「俺は悔いを残して死んでしまった。

体があるオマエにはまだ時間がある。

呆けてないでそれをやってこい。

ひとしきりやり尽くしてから死んでこい。」

 

そう言われてる気もする。

 

今までもそうだったが、

これからだって、

 

大いに恋をしろ、

一生懸命になってみろ、

諦めることなんてないぜ、

夢は叶えちゃってもいいんだぜ、

 

もっと近づいていいし、

もっと愛してみればいいし、

素直になればいいし、

素顔でいてもいい。

 

絡みつく恐れを

拭ってしまって、

 

心から安らいでいいし、

このために生きていたんだと感じるような

やり取りに、何度出逢ったっていいんだと。

 

向こう側の自分から、

そう告げられているようだ。

 

もし、

いくつもの自分が存在しているなら、

 

この自分は何を果たすんだろうか。

 

やがて、

やりかけの道を誰かに託すんだろうか。

 

自分だと決め込んでいる自分のまま、

なんだか首を傾げたりうつむいたりしたりして

生きていくんだろうか。

 

打ち明けながら、

手を借りながら、

 

気は進まないけど、

本当は見てみたいその先に行くため、

踏み出してみてもいいんじゃないか。

 

深夜帯のもうひとつの世界が、

露骨なまでに凝縮させた

剥き出しを映しながら、

 

何かを訴えかけてくる。

 

そんな、

不確かだけど、

確かに感じた想いを表して繋いでいく。

 

それは特別なことではないだろう。

 

愛せよ、己を。

世界を、人生を、誰かを。

その存在で。

 

恐れず、

まっすぐ笑って、

 

生まれてきてよかったと喜んでくれ。