こうすけの呟き

想いは言葉に。

誰しもが誰かにとっての、そんな存在に

気づくこと

 

その気づきを実践できること

 

己の感度を信じられるのなら

 

 

「良からぬ流れ」の中で育った

「賢くはないかもしれない」者が

 

良き流れ、在り方に

「気づく」には

 

「傷つく」が必要でしょうか

 

痛い目をみないと

連綿と繋がれてきた「良からぬ流れ」を

変えていくことは容易ではないでしょうか

 

そうだと言われても

納得などしたくないと思いつつ、

もしそうであるならば、

 

その旅は終わり

 

散々っぱらやってきたよな

もう、いいだろ

 

せっかくなので、

悲劇は誰かのサカナにする

 

癒されるのは

糧にできるのは

幸福話だけじゃないだろうから

 

ひとつでも「よかった」があれば

意味はあるだろう

 

小さくてどこまでも果てしない

ひとつの小宇宙に向けて放つ

 

認知などされなくても

癒しや良き刺激を何かに残せるのなら

 

生命体としてそれでいいだろ?

 

と思うことにする

 

 

せっかくなので良き因を残したい

 

「どうせなら、」くらいの方が 

やさぐれ感がしっくりくるか

 

大きな大きな何者かからすれば

調和が取れてるとか

これでいいんだとかなるべくしてなってるとか

すべての存在には意味が役割があるとか

 

そんな何の足しにもならない

正論ちっくな遠い秩序より

 

浅はかに

オレなりに懸命に

歌う 語る 叫ぶ 書く

 

いつか自分が

誰かの叫びに触発されたように

恩を返せたらな

 

どう思われたいとかじゃなくて

そいつを思い出した時に

たまらず泣けるとか勇気が出るとか

 

そんな存在になれるといいなと思う

誰しもが誰かにとっての

 

そんな存在に

 

 

 

自作のうた、歌ってます。

https://m.youtube.com/watch?v=h0y6JsdTCFU&t=182s

 

©2019 イトウコウスケ。All rights reserved.